加藤俊男

寛政四年創業以来八代目当主。
昭和25年3月 早稲田大学工学部応用金属科(現材料工学科)卒。
昭和25年4月 株式会社木屋入社。
平成4年11月 社長就任。
平成21年8月 会長就任。

金属、刃物メーカーへの講演、指導を行ったり刃物の博士的存在。
金属をはじめ、鉄鋼、新素材関係の諸雑誌等に執筆。

ステンレス刃物と鋼(錆びる)刃物とどっちが切れるのか?

これは大変答えにくい質問です。と言うのは錆びる鋼にも、普通の炭素鋼はじめ種々の特殊鋼があり、ステンレス鋼にも刃物に使えない鋼種や焼入れすれば物凄く硬くなる鋼種まであるからです。

切れ味は鋼材の質や熱処理方法により大きく変化しますから、鋼材や熱処理条件が決まらねば比較できません。
そこでまずステンレス鋼に欠かせないクロームと鋼の関係から考えて行きましょう。クローム(Cr)は金属元素の一つで、鋼にクロームを添加した時の主な効果は次の3つです。

1.焼入れ性

ヤスキの白紙鋼や日本刀の材料となる玉鋼などに代表されるように不純物が少なくなるほど炭素鋼の焼入れは難しくなります。ところが極少量、0.3%程度のクロームを加えると、今までの高度の熟練が必要とされる水焼入れでなければ硬化しなかった鋼が、油焼入れや場合によれば空気焼入れでもらくらく硬化するようになります。

これをクローム鋼の自硬性現象と呼びます。
これがクロームを鋼に加える理由の一つです。

2.耐摩耗性

炭素鋼やクロームの量が増え、10~15%Cr、1.4~2%Cに達すると組織中に鉄・クローム・炭素の三元化合物(複炭化物)が表れます。この炭化物はHV2410と非常に硬く摩耗に強いので、金型や針金の引抜きに使うダイス鋼としてよく知られています。

3.耐蝕性

純クロームはやや青みかかった銀白色の金属で、鉄や真鍮にクロームメッキした刃物や金具は我々のまわりに幾らでも目にすることができます。

金属クロームは空気中は勿論海水中でも錆びず、高温でも酸化が進みません。硝酸、王水など腐食性の強い酸にも侵されません。

金属クロームは表面に空気中の酸素と反応して酸化クロームのごく薄い膜を作る働きがあります。この膜は極めて薄いので中の光ったクロームが透けて見えるのです。

錆びやすい鉄や鋼製品でもクロームメッキされていれば、メッキ層が剥げない限り錆びません。

この様にクロームの被膜が錆びを防ぐだけでなく、鉄とクロームの合金もクロームの比率が高くなるほど錆びにくくなります。鉄に12.5%以上のクロームを加えると金属クロームと同じように表面にクロームの酸化被膜ができ、空気中の酸素から中の金属を遮断するようになります。

0.5%の余裕を見て、金属学では13%以上のクロームを含有した鉄合金をステンレス鋼と呼びます。

刃物に使わない、焼入れを必要としないステンレス鋼は別として、刃物に使われるステンレス鋼は焼が入る、つまり熱処理で硬化することが必要です。

焼入れ可能な炭素鋼の組織にはセメンタイトと呼ばれる硬度HV1340の鉄と炭素の化合物が存在します。

焼入れはある量以上の炭素を含有する鋼でなければできない。これは炭素鋼はじめ、全ての特殊鋼すなわち鉄合金に共通の原則です。


鋼に焼入れするとマルテンサイトと呼ばれる針状の組織が表れます。これをマルテンサイト相と呼び、焼入れできるステンレス鋼をマルテンサイト系ステンレス鋼と呼びます。面白いことに最初に作られたステンレス鋼は刃物用ステンレス鋼だったそうです。ところがステンレス鋼に炭素を加えると困ったことが起きます。

炭素とクロームと鉄の三元化合物ができて錆びを防ごうと働くクロームの量が見掛け上減ってしまいます。炭素量を増やすほど錆びやすくなるのです。

この為最初のころのマルテンサイト系ステンレス鋼は、焼入れできる最低限度、0.3%以下に炭素量を押さえていました。当然焼入れ硬度も低く、戦前から戦後十年間位まで「ステンレス鋼の庖丁は錆びないが切れない」などと言われました。

私が早稲田大学理工学部応用金属科を卒業して木屋に入社し、店頭でこの声を聞いて「硬度の出せる高炭素のマルテンサイト系ステンレス鋼を探そう」と努力しました。

中間の経過は省略しますが、オーストリー・ショーラーブレックマン社(当時)のエーデルワイス・ステンレス鋼ARH8(当時)1.07%C、17%Cr、のサンプルを入手しRC60の好結果を得たのが、当社のエーデルワイス庖丁の始まりです。

但し前述した複炭化物の硬度はHV1520もあり、2のダイス鋼の炭化物には及びませんが硬くて減りにくいので、研削力の低い天然砥では研ぎにくく、今度は「研げない」とか「なかなか刃がつかない」などと言われました。

しかし研削力の強いGCやアルミナの合成砥をえらべば問題なく研げます。炭素鋼でもステンレス鋼でも炭素が充分含まれていて、適正な熱処理が施されていれば、硬度が出る(材質に適合した砥石で研げばよく切れる)。

炭素量が少なければ硬度は出ない(研いでもすぐ切れなくなる)。これが私の結論です。
炭素鋼、ステンレス鋼の熱処理や炭化物について興味をお持ちの方には「熱処理の話し・ステンレス鋼と鋼」(準備中)でさらに詳しくご説明します。
 

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鋼の熱処理について1

ステンレス鋼の熱処理をお話する前に、まずその基礎となる炭素鋼の熱処理に触れておきましょう。

常温の鋼を加熱して行くと、幾つかの段階で結晶の構成や性質が変化し、ついに溶解に至ります。この段階のそれぞれを変態点と呼びAに小さな数字を付けて、A1点、A3点などと表わします。

純鉄やそれに近い極低炭素の鋼の常温組織はフェライトと呼ばれます。常温の炭素鋼に見られるもう一つの組織は鉄と炭素の化合物でセメンタイトと呼ばれ、もろくてHV1340と高い硬度を持ちます。セメンタイトとフェライトは細かな層状に重なり、金属顕微鏡で観察するとパール色に見えるのでパーライトと呼ばれます。

 
写真1
共析鋼の焼鈍組織(670倍)
すべてパーライト相
写真2
拡大したパーライト相(1600倍)
フェライト(広い部分)+セメンタイト

炭素量0.85%の炭素鋼は全体がパーライト相で共析鋼と呼ばれます。
炭素量0.85%以上の鋼の組織はパーライト+セメンタイト相で過共析鋼と呼ばれ、炭素量0.85%以下の鋼の組織はパーライト+フェライト相なので亜共析鋼と呼ばれます。
「ハガネの話」を聞きたいと刃物好きの知人に頼まれてお話をすると、大概この辺までであくびが出てきて「カタカナの連発はもう結構、その辺は飛ばして先に進んでくれ」と言われますが、これを憶えてもらわないと先に進めないので、もう暫く我慢してください。
共析鋼を常温から徐々に加熱して行くと723度でA1変態点に達します。式の形で示せば、

 
またもここで新しいカタカナ術語、オーステナイトが登場しました。これを詳しく説明するには、純鉄の変態点からお話しなければなりません。
上述のフェライトはα(アルファ)鉄とも呼ばれ、結晶の形は体心立方です。鉄原子が立方体の8個の頂点と、立方体の中心に存在する結晶型です。通常結晶の説明に使われる球を竹ヒゴでつなげた図1/aを見ると結晶一個につき、9つの鉄原子が含まれるように見えますが、結晶1個分だけを厳密に切り出した図1/bを見ると隅の原子は1/8ずつなので、8個あわせて1個、中心の1個とで合計結晶1個に2個の鉄原子が含まれています。立方体の一辺の長さは2.86×10のマイナス8乗cmです。
純鉄(α鉄)を加熱すると910度(A3点)でγ(ガンマ)鉄に変わります。
カタカナ術語に続いてギリシャ文字まで登場してご迷惑をかけますが、術語を使わなければどうしても話が先に進まない為で、私が自慢する為に並べているのではありませんから、何卒ご容赦ください。
γ鉄はα鉄と結晶構造が違い、面心立方格子と呼ばれ、鉄原子が立方体の8個の頂点と6面の中央に各1個ずつ計6個存在します。(図2/a)一見14個の鉄原子が含まれるようにみえますが、結晶1個分を切り出した図2/bでは、α鉄でもお話したように隅の原子は1/8ずつなので、8個あわせて1個、面の原子は1/2ずつなので6面合わせて3個、従って結晶1個には合計で4個の鉄原子が含まれています。鉄原子の数が増えた分、立方体の一辺も伸びて3.62×10のマイナス8乗cmになります。

α鉄
(フェライト)
 
 
α鉄
(結晶1個分)
γ鉄
(オーステナイト)
 
 
γ鉄
(結晶1個分)

常温のα鉄はわずか0.006%しか炭素を固溶しませんが、γ鉄は1140度で2.1%、つまりフェライトの350倍もの炭素を固溶します。(註1)炭素を固溶したγ鉄がγ固溶体すなわちオーステナイトです。
炭素を含まないγ鉄を高温から徐冷すれば、910度ですなおにα鉄に戻りますが、炭素を固溶したオーステナイトを徐冷すると910度以下になってもγ相のまま頑張り、遥かに低い723度、先ほどのA1変態点でやっとα鉄+セメンタイトつまりパーライトになります。式の下の加熱の矢印は徐熱でも、急熱でも同じですが、上の冷却の矢印は徐冷でなければフェライト+セメンタイトにはなりません。
A1変態点を急冷で通過するとどうなるか?この熱処理が皆さんご存知の焼入れなのです。
ちょっと息抜きをしましょう。畳の寸法が関西と関東で違うことはご存知でしょう。京間(関西間)の方が江戸間(関東間)より広いのです。科学的には全く関係ありませんが、オーステナイトは京間、フェライトは江戸間だと考えてください。広い京間には一部屋に4人客(鉄原子)が座れます。それが江戸間になると2人しか座れなくなってしまいます。部屋の寸法がゆっくり縮めば、部屋から押し出された客はやむを得ず部屋の周りに並びます。そのまま部屋に残った客(鉄原子)がフェライト、はみ出した鉄原子が同じく押し出された炭素とくっついて部屋の外でしょんぼりしているのがセメンタイトです。普通の炭素鋼の場合はフェライトとセメンタイトの層状になりますが、熱処理の仕方では球状化したセメンタイトも存在しますから、全然無縁の話でもないと思います。

写真3
800度水焼入れの共析鋼(670倍)
殆どがマルテンサイト相
写真4
写真3を200度で1時間焼戻した組織(670倍)
針状組織がくずれた焼戻しマルテンサイト相

さてオーステナイトを急冷して、A1変態点を通過するとマルテンサイトと呼ばれる針状の組織に変わります。(写真3)部屋のサイズ変更も客の移動も動こうとした瞬間で固まってしまったので、大きな歪みが溜まった状態つまり大変硬くなったのです。もとのフェライト+セメンタイトの状態に戻りたい気持ちはやまやまだが、温度が低くて動けないのです。そこで少し暖めてやると式1の右向き矢印の方向に変態が進み、歪みが開放されるので硬度もやや低下する。これが焼き戻しです。(写真4)
「刃物製作で最大の急所は焼入れだ」と昔から言われていますが、温度と保持時間が正しければ、誰でも焼入れはできます。むしろその後の焼戻しがきちんと行われず、硬すぎたり脆かったりする例も珍しくありません。焼入れ・焼戻しを合わせて鋼の熱処理と呼びますが「熱処理が肝心だ」と言うべきでしょう。註1、水に塩を溶かすとある濃度までは完全に溶け合って一様な液体に見えます。同じように一様な状態(相)に見える固体を固溶体と呼びます。パーライトは金属顕微鏡で拡大すると、写真2の通りセメンタイトとフェライトの二つの相にはっきり分離して見えるので、固溶体ではありません。


顕微鏡写真は「鉄鉱の顕微鏡写真と解説」佐藤知雄編・丸善(株)発行
結晶格子の図は「百万人の金属学」幸田成康編・(株)アグネ発行
から引用しました

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鉄はなぜ錆びるのか?

よく研いだハガネの包丁もそのまま普通に水に(註)漬けておけば、たった一晩でもかなり錆びてしまいます。ハガネでも鉄でも磨いただけでは特別の表面処理を施さない限り必ず錆びる、水分があればもっと早く錆びます。
鉄・ハガネはなぜ錆びるのか?この謎を解くため、宇宙そして誕生間もない頃の地球に思いを馳せてみましょう。
太陽系の火星と土星の間には、無数の小惑星が廻っています。惑星になり損なった惑星の部品か、惑星同士の衝突の為バラバラに砕けた惑星の破片とも考えられます。その微細なかけらの軌道が地球の引力圏に入り込み、空気との摩擦熱で発光し、光って落ちてくるのが夜空の一瞬に輝く流星、それが燃え尽きずに地上に落下したものはその主成分により隕石や隕鉄と呼ばれます。
宇宙空間には酸素が殆ど無いので、隕鉄の表面は地上に落ちるまでの空気との摩擦熱で酸化していますが、切断面を見れば内部は金属鉄のままです。
何十億年の昔地球ができた時、地上にあった鉄はこの様に金属鉄として存在していたと考えられます。その後気温が低下して海ができ、海中に原始生物が発生しました。この原始生物の子孫が上陸し、地上の植物や動物の先祖になったと思われます。植物は太陽の光を利用して当時炭酸ガスが主成分だった大気を分解して酸素を空中に放出し、炭素は植物の葉や幹などの主成分となりました。
空気中に放出された酸素が金属鉄と化合し、酸化鉄つまり現在の鉄鉱石となりました。以後数十億年の間鉄が酸素と結びついて最も安定した状態、即ち酸化鉄(つまり錆)の状態で存在していたのが鉄鉱石です。
自然金即ち砂金、自然銀、自然銅あたりまでは天然に存在しますが、自然鉄とは聞いたことがありません。「砂鉄があるじゃないか」といわれても、あれは磁鉄鉱つまり四三酸化鉄の微粉で、磁石にくっ付きますが、金属鉄の粉ではありません。金はもちろん銀、銅などに比べても遥かに鉄は酸化しやすい(錆び易い)のです。
溶鉱炉の原理も高温の一酸化炭素(CO)ガスにより鉄鉱石から酸素を奪い鉄に還元することにあります。練炭中毒で判るように赤血球中のヘモグロビンから酸素を奪う、怖いCOガスの力で鉄鉱石から酸素を奪い溶けた金属鉄を流し出すのです。
人間世界にたとえれば男に当る酸素と女に当る鉄とが何億年もの間仲良く暮らしていた状態が鉄鉱石で、それを無理やり引裂くのが溶鉱炉の仕事なのです。
日本や中国の歴史や伝説では無理やり引裂かれた夫婦が千里の道を越えて元の鞘に復したことは美談として語り伝えられますが、鉄と酸素の場合、宇宙空間はいざ知らず、地球上で使われる限り、あまねく存在する空気の約20%が酸素ですからすぐに元の鞘に戻ろうとしてくっつく、つまり化合して錆びにもどるのは当然の話です。
我々としては「ピカピカの包丁が錆びて困った」ですが、鉄と酸素の側にいわせれば「引裂かれた二人が元に戻った、めでたしめでたし」のフィナーレなのです。
なにも鉄が錆びたのを喜んでいるわけではないが、われわれが地上で鉄製品を使おうとする限り、塗装・メッキ等何かの表面処理をして鉄と酸素を完全に隔離しない限り「錆びるのは当たり前」ということを、完全に理解して頂きたいと思います。

(註)寿司屋などの手桶の水は石灰を入れた強アルカリ性なので鉄が錆びないのです。

さびにくい鉄、ステンレス鋼とは?
このように錆び易い鉄やそれに0.3~1.5%の炭素(カーボン元素記号C)を加えて焼き入れ可能にしたハガネを空気中で錆びさせない手段は唯一つ、前回の終わりに述べた通り塗装・メッキ・琺瑯等の表面処理をして、酸素を完全に遮断するしかありません。
しかし食器や包丁など食品に接するものは塗装できないし、メッキも使っているうちにひびが入りそこから錆びてきます。
メッキの中でもニッケルメッキやクロムメッキは皆さんよくご存知でしょう。メッキ層がはげない限り何時までも光っています。
しかし「実は錆びているのだ」と言えば皆さんきっとびっくりされるでしょう。
ニッケル(Ni)もクロム(Cr)も空気中の酸素と化合して表面に生じたごく薄い酸化膜が内部の金属を空気中の酸素から完全に遮断しているのです。(括弧内は元素記号)
しかも都合の良い事には、この皮膜は非常に薄く透明なので中の光った金属がそのまま透けて見えて、一見錆びていないように見えるのです。
鉄とCrの合金もCrの量に応じて、金属Cr同様空気に触れるとただちに表面に薄い酸化膜(不動態)をつくる能力を持ちます。鉄に耐食性を与える金属はCrだけです。
鉄とクロムの合金を作って錆びにくさを調べると、5%Crでもかなり錆びにくくなり、12.5%以上入れば空気中や真水の中では殆ど錆びません。
0.5%切り上げて13%以上Crが入っていれば、通常の使用には先ず大丈夫、これが13Crステンレス鋼とよばれるステンレスの誕生です。
その後、Cr量を増した18Crステンレス鋼やこれに8%のNiを加えた18-8ステンレス鋼も造られ耐蝕性は更に向上しました。後述するいろいろな元素を加えることによりさらに耐蝕性の優れたステンレス鋼が開発されました。もろもろの化学プラントや原子力産業は、これらの高耐蝕性ステンレス鋼抜きでは存在できなかったと思います。
だがこれだけでは「切れる=硬い」ステンレス刃物の製作には解決されません。
始めに御話ししましたが刃物の材料となるハガネには焼きを入れるための炭素が必要です。ところが炭素はCrとも大変仲がよく、ステンレス鋼の中で鉄、炭素、Crの大変硬い三元化合物(Cr炭化物)を造ってしまいます。このため錆を防ぐ基地の鉄(マトリックス)に含まれているCrの量が減る、つまり錆び易くなってしまうのです。
昔から「あちらを立てればこちらが立たず」とよく言われます。平家物語でも父平清盛の悪行を諌めようとした長男平重盛が「忠ナラント欲スレバ孝ナラズ、孝ナラント欲スレバ忠ナラズ」と嘆いた話が伝えられています。
ステンレス鋼刃物も重盛同様「硬くすれば錆びやすい。錆びにくくすれば硬くならない」とまさに板挟みの状態です。戦前カタカナで「サビナイ鋼」と刻印を打ったステンレス包丁が造られていました。サビナイ為には炭素量を低くするしかないので、当然硬度は低い。その結果「ステンレスの包丁はサビナイが切れない」が戦前の常識となっていました。
戦後、炭素とCr量をふやし更にモリブデン(Mo)、バナジウム(V)、コバルト(Co)等を加えた優れた刃物用ハイカーボンステンレス鋼が各社で製作され、ハガネの包丁に匹敵する硬さを持ち、良く切れる包丁も造られるようになりました。

現在のステンレス包丁の諸問題

以上ステンレス包丁がどんな過程で進歩してきたかがお分かりのことと思います。
しかしまだ問題が残されています。

【1】ハガネ製包丁は切れ味が落ちるにつれ、錆も進行するので自然に研ぎたくなりますが、ステンレス包丁は刃先が潰れても錆びませんから、ついのそのまま研がずに使われ最後には全然切れなくなります。それでもそのまま使っている家庭が多いことがNHKと当社の調査でわかりました。これも「ステンレス包丁は切れない」という方がまだいる理由の一つだと思います。光っていても研ぎは必要なのです。

【2】研ごうとしても、ハイカーボンステンレス鋼は同じ硬さの炭素鋼(ハガネ)よりも耐磨耗性が高い為、ハガネ製包丁が良く研げた今までの砥石では研ぎにくいことがあります。アルミナやGCを原料にした合成砥石が良いでしょう。
包丁購入と同時に店員に相談してその包丁に適した合成砥石か包丁研ぎ器をお求めになることをお勧めします。

【3】ハガネ(純炭素鋼)と異なりCr鋼(ステンレス鋼もCr鋼の仲間)には自硬性と言って、焼入れ温度以上に加熱すると、空中に放置しておいても自然に焼きが入る性質を持つ為、溶接後などにひび割れの原因となる歪を生じることがあります。
これを防ぐ手段もいろいろ開発されてはおりますが、ともかく御買い上げの品について充分に責任を持つお店から購入される事をお勧めします。

【1】【2】【3】のまとめとして
1.光っていても小まめに研ぐ
2.砥石を選びその手入れも忘れずに
3.信用できるお店とブランドを選ぶ
の三点を忘れずに末永くご愛用ください。


木屋のステンレス包丁と箱に使用されている用語の説明
 
BOHLER
オーストリーの製鋼会社 昭和29年(1954)以来の木屋の長い取引先。
 
EDELWEISS
同社製のステンレス鋼のブランドだったが、現在は木屋の登録商標。
 
SUB ZERO
ハイカーボンステンレス鋼は普通の焼入れだけでは最高の硬度が得られないことがある。焼入れ直後に零下75度まで冷却して、充分な硬度を出すとともに狂いの発生を防ぐ効果がある。

 ポリアセタール樹脂
耐摩耗性、耐衝撃性、耐疲労性、剛性に極めて優れている。
 
ニューエーデルワイス鋼
新元素を添加することにより、炭素量を旧エーデルワイス鋼の半分近くに減らしたBOHLER社の新鋼材。硬度を低下させずに耐食性が大幅に向上し、【3】に記した口金溶接後の事故も皆無になった。

 エバーブライト
上記の18-8ステンレス鋼にのみ使用する木屋の登録商標耐食性に優れている。
 
CHROMOL
クロモル モリブデン入りの国産ハイカーボンステンレス鋼SUS440A等。
 

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欧米の刃物と日本の刃物の基本的な違い

今まで理論的な、いわば肩のこるような話が続いたので、今回は理屈抜きで欧米、と言うより日本以外の世界の刃物と日本の刃物との違いについてお話ししましょう。
日本製の刃物を持ってヨーロッパに行き、向こうの刃物メーカーの職人に見せると、刃物の評価についての考えが全く違うことがわかります。
彼我の違いが最も大きいと言うより、正反対な点が三つも四つもあります。表⑴を見て下さい。

表(1)我が国の刃物と世界の刃物の違い

  日本 外国
1刃の素材 二種類以上の鋼鉄を合わせて造る。 ただ一種類の鋼材だけで造る。 
2 使い方 主に引切り(注)  主に押切り(注)
3 研直し 砥石を使う  砥石を使わない。包丁ならばヤスリ棒で研ぐ。
4 刃先の硬度と鋭さ 硬くて鋭利  日本に比べ柔らかく、鋭利でないものもある。 

(注)のみ以外の多くの大工道具について

なぜこのような違いが出てくるかを論じると、鉄鉱石の質と形状、それによる製鋼法の歴史に遡らねばならないので省略しますが、少なくも幕末までの日本の刃物は欧米のそれとは全く別のものだったと考えるべきでしょう。
表(1)の1
我が国では刃物全体の形状を軟鉄で造り、鋭利さを必要とされる刃先にだけ鋼鉄を張り付ける、または軟鉄に溝を付けて鋼鉄を挟み込む、この方法で必要な場所にだけ、例えば玉鋼のような高価で高炭素の素材を使うことが出来ました。これを砥石で研ぐと、柔らかい軟鉄が先に減って刃先角度は自然に鋭角になり、この時生じた鉄粉と、砥石の粉と水が一体になって理想的な研磨作用をしました。刀剣の話には深く踏み込みませんが、内部の軟鉄の芯を鋼鉄で包んだ構造なので、鋭利な刃付けなのに衝撃に強く,刃と刃を打ち合った時でもせいぜい曲がる程度でポキンと折れることがありません。よく銘刀の折れた話がありますが、それは大変珍しい事だったので伝えられたのだと思います。欧米の剣はムク(一体構造)なので、衝撃で折れることを考えれば、鋭利な刃が付くように硬く焼き入れることはできません。
表(1)の4
幕末攘夷の浪士が持つ日本刀を、外人が「サムライのカタナは剃刀のような鋭さを持つ、さわっただけで切られてしまう」と恐れたのは当然です。筆者は欧米では伝説的な宝剣として尊重されるダマスカスの剣(インド産のウーツ鋼を原料としシリヤのダマスカス地方周辺で造られた、刀身に流水のような刃紋を持ち、例えばドイツ・ゾリンゲンのような有名なヨーロッパの刃物産地製の剣の数十倍の価格で取引されたという)の実物をスイスの首都ベルン市の歴史博物館で、何振りもの実物を手に取って観察する機会を得ました。しかしその鋭利さは我が国の刃物で言えば、果物ナイフの刃程度のものでした。
 あまりのにぶさに「これは博物館に来た時のままの刃ですか」と見せて下さった教授に聞いたら「100年近い間誰も刃に触れたものはいません」と強く否定されてしまいました。
表(1)の⒉
使い方は、おもに鋸や鉋等の大工道具類についてですが、押し切の鋸は、身にある程度の厚みがなければ反ってしまって、うまく喰い込みません。引き切りなら押し切に比べ真っ直ぐ挽きさえすれば身が薄くても喰いこんで行くから、発生するおが屑の量は遥かに少なくて済む。ということはそれだけ力を掛けずに切れるということになります。
鉋も引く方が楽だと思いますが、これは欧米人に比して体力の少ない我々だからでしょうか。
表(1)の3.
スイスの博物館を訪ねる10年以上前にドイツの刃物の都とされるゾーリンゲンの庖丁メーカーを訪ね、彼らの作品と同型の日本製庖丁を手渡し、「この位の刃が付いていないと、日本でもう一度刃付けする(研ぎなおす)必要がある」と説明しました。刃付け職人は切れ味を見ようと、親指の腹で刃先をこすったから大変、たちまち出血してしまいました。血止めをした後で彼曰く「この刃付けは庖丁の刃ではない。剃刀の刃だ。我々は世界数十ヶ国に包丁を輸出しているが、刃付け(切れ味)について文句をつけて来たのは、日本だけだ(だからこれ以上の鋭利な刃付けは必要ないのだ)と怪我のせいもあって、ご機嫌斜めでした。尚このメーカーとは現在取引しておりませんので、ご安心下さい。
 しかしそれから10年位たって、フランクフルトの隣町オフェンバッハの皮革製品組合の専務理事だった、ドイツでの昔からの友人が、フランクフルター・アルゲマイネ紙の日曜版に日本庖丁の特集が載っているのを送って来てくれました。
 なれないドイツ語新聞をなんとか訳して、私の掴んだ大意を述べますと。
「ゾーリンゲンの庖丁は、肉の塊をまな板の上で力任せに叩き切り、引き裂くものだと我々は思っていた。しかし日本のスシ(刺身)庖丁は全く違った使い方をする。
 その刃は驚くほど鋭く研いであり、魚の身の上に載せて引けば、刃の重さだけで魚体に喰いこんで行く、切れた断面は滑らかで、切り口はきちんと直角になっている。これは食についての全く新しい美学を感じさせるものだ」とありました。
 ヨーロッパで在留邦人が一番多いのがドイツのデュッセルドルフだそうです。だから筆者も数十年前はじめて渡欧した時もデュッセルドルフのすし屋に行ったことがあります。その時の客筋は、日本人同士か、日本人を案内してきたドイツ人だけでした。しかし今ではドイツ人だけの客のほうが多くなったようです。ドイツだけではありません。ドイツの隣の国オーストリヤのウイーンで、初日に行った寿司屋は、看板もメニューもドイツ語だけ、親方?の顔つきもアジア系で日本の板前と同じようななりをしていたので、思わず「今晩は」と声を掛けたが、キョトンとして日本語が全く通じません。注文はカラー写真のアルバムを見て「ナンバー幾つを何個」と注文するのです。もっともこれは東京でも外人サン用に準備したのを見ていたので、なるほどとその方法で注文しました。翌日ホテルのすぐそばで、ショーウインドに墨痕鮮やかな軸が下がっている店を発見。横文字であふれかえっている街で漢字の軸を見たので、内容まで読まずに「これこそ日本人の経営する寿司屋」だと思い込んでしまいました。その夜、昼間見た店を訪れると、簡単服を着た女将さんが「今晩は、いらっしゃい」と、何処か変な訛りのある日本語で挨拶してくれました。日本国内での我々の常識では、寿司屋の女将ともなれば、キリッとした和服姿で出てくるものと思っていたので「女将さんはどちらのご出身ですか」と尋ねると「私台湾よ」と言う返事、なるほど台湾出身なら筆を使って漢字の軸物を書くのは我々よりお上手でしょう。この調子では、板前さんも台湾出身と思ったが、目の前で握らず、調理場からボーイさん(これも我々に直接話しかけて来ないので台湾出身らしい)が運んでくるシステムなので、握っているご本人の国籍は不明でした。
 「誰が握ろうと鮨は鮨だ」という観念で、ヨーロッパ中に日本料理とくに寿司屋が繁盛していることは間違いないでしょう。
 貝類以外魚類を生で食べた経験がない欧米人も、日本人のお供で寿司屋通いをする内に、黒マグロのトロのあじを覚えてしまい、絶滅危惧種として漁獲制限の対象にされてしまったのです。
 パリのオペラ座の近くに狩猟用具店つまり銃砲店があります。ここにも少量ながら和庖丁を直送していました。訪ねてみるとパリには日本料理店が幾つもあり、日本人や日本で修業した料理人もいるので、庖丁を研ぐための日本製砥石も並んでいました。
 我が国では刃物と砥石は切っても切れない縁があると思われていますが、これも世界的に言えば日本だけの考えでしょう。
「日本料理店が普及したお蔭で黒マグロが禁漁になったのかも」と日本に帰って友人に話したら「パリに和庖丁を輸出するやつが悪い」と怒られてしまいました。

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