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1792年創業。木屋は包丁を中心に様々な生活の道具を提供しています。

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「日本橋木屋」は古くから、刃物をはじめとして様々な道具を扱ってきました。それらの道具は様々な名人と言われる職人に支えられてきましたが、今後職人の後継者問題などから、数えきれないほどの技術が消えていく可能性があります。それら日本の伝統伝承技術を発信するために、道具を丁寧に見せる場、道具の歴史・背景を伝えていく場として新たなスペースをつくりました。
職人の手による商品が持っている個性を生かすために、できるだけ棚の存在感を小さくするように設計しています。具体的には商品一つ一つに合わせた形状の小さい棚をつくり、その棚を商品の陳列に合わせて壁に差し換える計画としています。
小さな棚板はステンレス/スチール/FRP/木材のハイブリッド構造でつくり、極限まで薄くすることで、壁には商品と文字だけが浮かび上がるような不思議な空間となります。この一つ一つ形の違う棚板自体もまた職人によって手作りで作られています。
どんなものでも置く事の出来るユニバーサルな棚板ではなく、個性を持った一つ一つの商品に合わせて設計している棚板なので、商品が入れ替わる度に棚板も交換し、商品に合わせた「特注の空間」が出現します。
まるで美術品を観賞するかのように商品を周りからぐるりと眺めることのできる、人と物の新しい向き合い方のデザインです。

萬代基介建築設計事務所
代表 萬代基介

izutukiにてJCDデザインアワード2014金賞受賞
2017年EuroShop//JAPAN SHOP Award
〜第3回ショップデザインアワード〜 優秀賞受賞

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推古天皇が治める日本の飛鳥時代(538-710AD)、607年遣唐使によって小野妹子が隋から日本へと帰朝したおり、海路の無事を祈願して朝廷への贈り物が紅白の麻で結ばれていました。この時から宮中への献上品は全て紅白の麻で結ぶ習慣となり、この麻の廃品を公家達が貰い受け、いろいろな色に染めて使いました。ちょうど鴨川(京都を流れる川)を百花が水に引かれて流れるように見えたので、水引というようになったと言われています。水引の語源は、まだいろいろあります。神聖な地域と、一般社会を区切るため、水を引いて清めるので、水引という説や、紙縒りに水で溶かした糊を塗りつけて引く姿が、水を引いて見えたから水引というようになったという説などがあります。日本の礼法で結びの語源はここから始まったと言われます。


日本には古くから「魂を結び入れる」という信仰がありました。細長いものを何かに結びつける事でその結び目に残すことができるという考え方なのです。おみくじを神社の樹の枝に結びつけます。これはこの信仰からきています。神の域に結んだおみくじに残した自分の魂の一部が常に神の守りを受けるので、自分はどこにいても神に見守られているという考えに基づいています。神社のしめ縄も昔は昔は水引が用いられていたと言います。この結ぶことを神聖な行為とする信仰と水引が融合されたのです。神聖な気持ちで心を込めてという日本人の心から水引の意味が生まれました。


水引結工の福岡県優秀技能者・福岡市技能功労者の長澤宏昭氏を父に持つ、水引デザイナーの長澤宏美氏により、結納品の他博多の粋さを表現した伝統モダンな作品を制作し世に送り出しています。現在では博多水引と呼ばれ、大胆な色使いやデザインが海外からも注目されています。

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博多水引 TAKEO KIKUCHIカラー

日本を代表するファッションブランド「TAKEO KIKUCHI」とのコラボ作品
シックな中にも粋な華やかさを感じる組み合わせです。

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昭和10年愛媛県松山市に生まれる。幼少より父の向こう槌を打ち、鍛冶の修行をする。
昭和36年日本橋木屋に入社。昭和46年薬師寺金堂などの再建を手掛け「最後の宮大工」と称された西岡常一棟梁と出会う。昭和47年日本橋木屋を退社後、郷里に帰り鍛冶に専念する。西岡棟梁の依頼で、薬師寺再建の為の白鳳型和釘の鍛造を手掛ける。

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白鷹氏は耐久性に優れた純度の高い古代釘の入手が不可能な現代、日本鋼管のSLCM材を鍛え、千年の耐久性を持つ白鳳型和釘としてその復元に成功。途中に僅かなくびれや膨らみがあり、時代による建築法の違いを考察し、再現した。薬師寺西塔、中門、回廊、大講堂などの再建に使われ、その他にも寺院や城の修復、復元に膨大な数の和釘を鍛造している。

 

松山市の鍛冶 白鷹幸伯さんが逝去されました。
6月6日 享年83才をもちまして永眠いたしました。
謹んでお知らせもうしあげます。