加藤俊男の古今東西
アーカイブ
 
2020年に惜しまれつつ廃刊となった日本刃物工具新聞。そこで連載していた弊社会長加藤俊男のコラム『古今東西』を、アーカイブとして全て原文のまま掲載して参ります。(週一更新予定)
 
  

加藤俊男

寛政四年創業以来八代目当主。
昭和25年3月 早稲田大学工学部応用金属科(現材料工学科)卒。
昭和25年4月 株式会社木屋入社。
平成4年11月 社長就任。
平成21年8月 会長就任。

金属、刃物メーカーへの講演、指導を行ったり刃物の博士的存在。
金属をはじめ、鉄鋼、新素材関係の諸雑誌等に執筆。
次回更新は8月17日(水)となります。

「鋏をよく造るのは特別むずかしい。 小刀などは、刃の焼が硬くても硬くなくても、一本で使うのだから、さしつかえない。 剪刀(はさみ)は刃と刃が合って物を裁つのだから、甲の刃の味と乙の刃の味が全く同じように造られなければ、あるいは甲の刃が硬ければ乙の刃を剋し(こくし=けずり)、あるいは乙の刃 が硬くて甲の刃を剋し、一方が勝って—方がまけるようになり、物はその負けた刃の方から滑り逃れて切れなくなってしまう。だから良い剪刀を造るのは非常に難しい。しかしまた、左右をちゃんと同じ程に焼入れできれば、物を挟んで切るたびに、左の刃は自然に右の刃を研いで鋭くさせる働きをして、日に日にけずり合って新しい刃になるから、小刀などと較べると、極めて長い間、砥石にかけなくても役に立つのである。本当の国豊が作った剪刀の佳いものなら、二年三年日々これを用いても、なお濡れ紙を切ることができる。清長の小刀は鋭利であっても、二年三年の間には何度か研がなくてはならない。むずかしいかな、剪刀を造ること、くしきかな、よい鋏の力は。」と、鋏造りのおじいさんが語った。(後略)
 
 長々と拙ない口語訳で書きつらねてみたが、原文は、岩波書店発行、露伴全集、第三十九巻「人の言」(明治36年)に記されている。従って文中にある、国豊、清長等も、当然、明治36年当時のものについて語っていることを、お断りしておく。
 
 専門家に聞いた形式をとっているのだから、当然ともいえるが、今日のわれわれ、刃物で飯を食っているものが読んでも、はじめと終わりで、一枚物と二枚物の比較をし、中間で刃の硬度を一致させる苦心を述べている点など、内容的にも技術的にも全くよくまとまっている。
 露伴翁などと呼んでいるが、慶応三年(1867)生まれの翁は、この時まだ37歳、今日同年配の刃物商社の中堅社員が、鋏と小刀を比較して、即座にこれだけのことが語れるだろうか?
 幸田露伴翁は「五重塔」などの作品で、尾崎紅葉とならび称される小説家として知られているが、量的にいえば、翁の著作の大部分は、中国、日本の古典だけでない。ヨーロッパ特に英国にまで及ぶ、百科全書的なひろがりを見せる、研究、考証、評訳、評論の一大集成である。何事も自分で確かめねば満足しない御方だったようで、特に、将棋、釣等の研究、考証などにそれが著しい。刃物愛好もかなりのもののようで、何日研いでも、使えるようにならなかった鉋の話などもある。
 
 翁が文学や古代技術だけでなく、未来技術・工学方面にも、深い興味を示された事など、おいおい語ってみたい。
 露伴翁に関係ないことを書かせてもらうし、ともかく昔の話・海外の話から、我国の現況までふれたいため、古今東西という馬鹿でかい題をつけた次第である。
 しばらくの間、拙文におつきあい下さるよう、お願い申し上げる。
  

 刃物工具新聞 1981年9月20日(日)掲載
無断転載禁止

幸田露伴翁の鋏の話には、まだ続きがある。
前回の、両方の刃の味(焼き)を等しくすれば、永切れするという苦心談をうけて、「ある人此の鋏造りの叟(おじ)の言を聞きて思ひける。 まことの好き夫婦は良き鋏の如くなるべし。相剋し(こくし=けずり)て相助け、相新(あらた)にして相久しき、めでたしなんどいふもおろかなり。鋏は微物にして言ふに足らねど諦観(ていかん=よく見る)すれば我を啓く(ひらく=おしえる)あり。(「人の言」より)短い文章なので原文のままかかげた。
 鉄の徳を説 いて、 よき夫婦のすがたに例えるあたり、業界人の結婚式のあいさつにもふさわしい言葉でないだろうか。
 翁は自分で考えたことも、 他人から聞いたように書くのが得意な方のようで、前回の鋏造りのおじの話もそうだし、今回の話の教訓めいた点など、如何にも翁の意見そのままのように思われる。
 前回、国豊の鋏と比較して、「清長の小刀は利(と)しといえども、二年三年の間には幾度か磨(と)がでは叶わざるなり。」と、具体的に銘をあげているのが、いかにも説得力を強めている。
 ところが全然別の少年向文学、「文明の庫」(明治31年)の緒言に、「人の世にあるほどのものは、如何なるかすかなるものも、所以(ゆえ)無くして忽然(こつねん)と此の人の世に現れ出で来りしものにはあらず。ここに小刀あり。此の小刀は、所以無くして世に現れ出で来たりしものなるべきや。否(あらず)。小刀も天より墜ち下り来れるならず。必ず此の小刀を造り出さんと思いたる人あり、造り出ださんと働きたる人ありて、さて後、それらの人々の心により手によりて、はじめて人の世に現れ出で来たれるなるべし。此の小刀の手元を見るに清長と彫りたるが見ゆ。さては此の小刀は、清長といふ人の造り出ししため、ここに始めて世に現れて、我が竹を截り木を截る用をなすべし。」
岩波書店発行、露伴全集第十一巻。
 原文は、茶碗と小刀をならべて書いておられるが、長くなるので、申訳ないが、中略、後略で小刀に関係ある部分だけ、かかげさせてもらった。
 ここにも清長の小刀が登場する以上、鋏づくりの職人の苦心談も、翁の創作と断定できる。ましてその後の「ある人思いける」に至っては、翁にあらずして、誰かよくこの言をなし得るや。
 
 筆者の文体まで、つりこまれて文語調になってしまった。ハハハ…。
 
 小刀の話でもわかるように、露伴翁の少年文学もなかなか面白い。未来技術の例をあげれば、番茶会談(明治44年)で、汽車鉄道の改良として、「狭軌は広軌に及ばず、広軌は短気に及ばず……」とか、「単軌は終に無軌になって……」とか、「どうです、単軌鉄道で東京神戸間が4時間位で走り着けたらば。ハハ……。」
 今から70年前、すでに、広軌鉄道、すなわち新幹線。単軌鉄道、すなわちモノレール。さらに無軌=浮上鉄道=リニアモーターカーまで想定しているところなど、全くすばらしい。無軌の方は航空路を意味しているともとれるが。
 広軌と単軌のちがいこそあれ、今日の新幹線のスピードまで(東京ー神戸、ひかり号で3時間28分)4時間と具体的に想定している所など、大したものだ。
 

刃物工具新聞1981年9月30日(水)掲載
  無断転載禁止

 一回、二回と幸田露伴翁の著作を中心にして話をすすめて来た。読みかえして見ると、翁の文章で原稿用紙のマス目を埋めているだけのようで、 いささか気がひけるが、 もう一度、二度は翁の艾章を引用させてもらいたい。
 露伴翁得意の少年文学の一つに「鐵の物語」がある。はじめに化合物の成分としての鉄の働きをのべ、 次に古代エジプトから現代 (明治42年)に至る採鉱法、 製鉄・製鉱法の変遷・進歩の跡を語り、新技術 としてのアームストロ ング砲や熱処理法、特殊鋼(ニッケル・マンガン・クロー ム等の入った)にまで及んでいる。 さらに将采の技術の大発展を期待した上で、「思へば不思議なもので、天か ら墜ちて来たのを使ったのが、蓋し人類の初めて鐡を使った根元でも有らう。 西班牙 (スペイ ン )人が亜米利加 (アメリカ) へ渡った時に土人が鉄器を持って居たので喫驚した、聞糺したらば天から得たと云ったといふ 話のものは、燃え盡して鐵とニッケル、コバルト等の鐡系統元素ばかりとなって居る、それを古代人は拾って使った事で有らうか。後略」岩波書店発行・露伴全集第十巻と、鉄の初めについて、いわゆる隕鉄起源説を撮っておられる。
 窪田蔵郎氏の「鉄の考古学」(雄山閣)によれば、地上で還元された鉄、すなわち自然冶金説の方が有力のようだ。しかし「隕石の化学」島誠著(玉川選書)に依っても「鉄隕石は人類に鉄器を供給した最初の物質であったと想像される。現在でも、グリーンランドエスキモーらは、鉄隕石から鉄の工具を作って使用している。云々」とある、同書にもメキシコのインデアンの持ち物として鉄隕石の斧が示されている。グリーンランドとか古代メキシコとかでなければ隕鉄がころがっていないのかも知れないが、筆者などは、窪田氏の説く「天上から光った鉄のかたまりが落ちて来れば、古代人はこれを道具にするより御神体として崇拝の対象にしたにちがいない」の方が妥当な考えのように思える。
 しかし、翁の歴史観、自然観を持ってすれば、宇宙から飛来した隕鉄を鉄の起源とする方がおこのみにあうのだろう。
 この様に、どの部分をとり上げても、興味深い内容だが、筆者の特筆したいのは、鉄の話の前説明として出て来る銅合金の刃物の方なので、それを次回のお楽しみとして、本日はまずこれまで。
 

 日本刃物工具新聞 1981年10月10日(土)掲載
無断転載禁止

 前回、露伴翁の隕鉄起源説を否定する意見をのべたが、手許の本を読みかえして見ると、隕鉄説が正しいようにも思えるので、もうすこし、隕鉄、及その製品についてふれてみよう。
 隕石、及隕鉄は、水星と木星の間の小惑星帯に分布している小さな惑星が、お互にぶつかり合い、細かくわれたものが、たまたま地球の引力圏に飛び込んで来たものと考えられる。小惑星の表面の石質の部分が隕石、中心の核の部分が隕鉄というわけだ。前回で露伴翁もいっておられるように鉄隕石=隕鉄の成分の平均値は、鉄90.8%、ニッケル8.59%、コバルト0.63%と計算されている。
 世界史的に最古の鉄を産出した国家、古代オリエントのヒッタイトの遺品で、現在トルコ・アンカラ博物館所蔵の短剣は、柄と鞘は黄金づくりだが、刃はまさしく鉄製だそうだ。この剣は、ヒッタイト帝国時代の古都アラジャ・ホユック王墓の出土品で、アラジャ・ホユックの推定年代は前2300ー2100年とされていうから、エジプトのツタンカーメン王の剣よりさらに一千年程さかのぼり、今から4300年前のものである。
 この鉄剣についての科学的分析はされていないが、同じ遺跡から金箔の頭のついた鉄製のピンと三日月形の飾板の破片が出土し、イギリスのコックラン教授は、ここに3%あまりのニッケルが検出されているから、これは隕鉄であると推定している。そこで王墓の鉄剣も隕鉄の加工品と想像される。(鉄・立川昭二著・学生者刊より)
 さらに同書によれば、紀元前17世紀において、鉄の価格は金の5倍、銀の40倍であったそうだ。すでに製鉄が行われていた時でこの価格なのだから、さらにそれより6・700年も昔なら、当然金の数十倍したはずで、コスト面からいって、隕鉄起源説、すなわち幸田露伴翁の説が、考古学的にも正しいことになる。
 近代でも榎本武揚が所有した富山県の白萩隕鉄(34キロ)の半量を持って流星刀が1898年3月に刀工岡吉国宗によって鍛造され、そのうち一振は大正天皇に献上されているそうだ。
 「この刀は白萩隕鉄7割に和鋼3割をまぜて鍛造し、鉄卸しの方法で通常の場合より温度を上げて溶かし込み、苦心して地鉄を造り、甲乙二口にわけ、16回と24回ずつ折返し鍛造した。焼き入れを加減したため匃も浅く沸もないが、切れ味は充分で、表面に槻の如輪木理のような斑文が出たそうである。」と、窪田氏は前述の鉄の考古学で紹介されている。
 ニッケル鋼は、ステンレス刃物鋼同様、焼きが入り易く、匃、沸を出すことは、困難というより不可能のはずで、窪田氏は、「沸のないのは、オーステナイト系(焼の入っていない組織)だからで、切れ味は、本当に十分かどうか、作者が誇張しているのではないか?」と語っておられるが、小生としては、完全に焼が入っていても、匃、沸がない場合も充分であると考える次第で次第である。読者の中にも、隕鉄で作った刃物をご存じの方があったら、ぜひ教えていただきたいものである。
 

 日本刃物工具新聞 1981年10月20日(火)掲載
無断転載禁止

 第3回の原稿が出来上がった直後来社された、東京刃物工業界の若手ホープの一人、相 田義正氏(武蔵野金属工業所)を相手にして、次のようなことをお話した。
 前々回のべたように最初の鉄は、隕鉄か或いは地上の鉄鉱石が、焚火その他の火力で偶 然に還元されたものか、さだかではない。
 しかし、古代製鉄の遺跡を探って歩き廻られる窪田氏によれば、当然、地上の鉄鉱石が 原料である。自然冶金説が正しく、宇宙塵や隕石の専門学者の島氏は、もちろん天から降 ってきた隕鉄説である。
 我田引水というが、学者先生方も、御自分の畑の方に、水、と言いたいところだが、鉄 を引っぱっておられるようだ。
 我田引鉄(代議士が自分の選挙区へ鉄道を引っぱること。すなわち今日の赤字線の一大 原因)という死語?があったが、これぞ新しい意味の我田引鉄かな?。もちろん私利私欲 に関係する意味は全くないが、同じような話はまだある。
 最初の生命は他の天体と無関係に地球上に独立に発生したものか。地球以外の星から、 隕石に乗ってやって来たものか。後者の説は結局、元の星でどうして生命が発生したか? という問題に還元される所が弱いが、ともかく、2説にわかれる所だ。
 が、前回書いた通り、元来地球程度の惑星になりそこねた小惑星が、さらに細く割れた のが隕石、隕鉄である。その表面に生命のもとが附着して地上に無事到着することは考え にくい。
 しかも残念乍ら、火星に軟着陸したバイキング1号・2号の活躍により、地球外におけ る生命の存在は、ますます否定される方向に向かっている。
 HG・ウエルズ以来、繰返し語られて来た、遥に人類を超越する知能を持つ宇宙人(ウ エルズ原作では水星人!)の来訪(襲来というべきかな?)におびえる必要は、人類の宇 宙探査技術が進歩するに逆比例して少なくなるようだ。
 バイキング1号の成功は、火星人の存在を完全に否定し、気の毒にも彼ら異星人の根拠 地は太陽系のはるか彼方へ追いやられてしまった。
 これにひきかえ、地球上では、スパイ衛生の報告が、刻一刻、破滅の一瞬に向かってい る事を示しているのだからやりきれない話だ。

〈おことわり〉
前回、沸(にえ)匂(におい)にふりがなをつけなかった上に、匂を?と 誤記しました。お詫びして訂正します。
 

 日本刃物工具新聞 1981年10月30日(金)掲載
無断転載禁止

 第4回でふれたが、隕鉄=ニッケル鋼で作った刀は、沸(にえ)や匂(におい)が出ない。理屈ぽい話で申し訳ないが、金属学的用語をまじえて理由を説明しよう。
 戦時中、ステンレス鋼で日本刀を造ったが、刃紋が出ないのに困った。という話を聞いた事がある。ステンレス刃物鋼に必ず含まれているクロームには、わずか0.3%程度でもはがねを入れると、鋼の焼入れ性を飛躍的に良くさせる性質がある。
 焼入性のよい鋼とは、急冷しなくても充分に焼の入る鋼のことでステンレス刃物が空冷でもよく焼の入る事は、刃物メーカーなら誰でもよく知っている事実だ。
 刃紋、つまり匂、沸とは、刀の表面で完全に焼の入っている部分(刃の側)と焼のよく入っていない部分(みねの側)の境界を示すもので細かい粒子の集合で表現されている。粒子が細かくて、肉眼で粒状に見えないのが匂、粒子が粗くて肉眼ではっきり見えるのが沸である。
 日本刀の製作に用いられる和鋼(玉鋼)は、非常に純粋な炭素鋼であり、焼入性は極めて悪い。だから土の置き方により、焼入時に急冷される部分にだけ焼きが入り、急冷されない部分は焼が入らないので焼境、すなわち刃紋が現れるわけだ。
 して見ると、焼入性がよければいくら土の置き方を工夫しても、刃もみねも同様に焼が入ってしまい、刃紋が出る筈はない。
 焼入性を良くする性質は、クロームだけでなく、ニッケルも同様であり、ニッケル鋼は一名空気焼入鋼と呼ばれる位だ。従っていくら焼入れを加減しても、ステンレス鋼同様、一様に焼入され刃紋は出ないわけだ。
 ニッケル鋼も炭素を1.6%以上加えると、常温でもオーステナイト組織になってしまい、焼は入らなくなる。窪田氏はこの事と混同されて、「波紋の出ないのは、オーステナイト系だからで、切れ味は本当に十分かどうか・・・」といっておられるのではないだろうか?
 隕鉄7割に和鋼3割を混ぜて鍛造したものなら、和鋼の炭素量が1.5%としても、全体では0.5%に薄められてしまい、当然オーステナイト組織は出ないはずだ。
 ニッケル鋼やステンレス鋼で作る刃物で、研いで出て来る刃紋様のもの(もち論、匂、沸とは全く別物だが)を出すには、刃とみねを別材料で三枚合せにする以外、手はなさそうだ。サブゼロを応用する手もあるかもしれないが。
 
(注)オーステナイト組織=炭素鋼を焼入する時は、まず加熱してこの組織とし、次に急冷してマルテンサイト(焼入)組織とする。当然780度以上の赤熱状態でしかオーステナイト組織は存在しないが。18-8ステンレスや、高炭素ニッケル鋼では常温でも、この状態を保つ。当然、磁気に感じない。
 
訂正、前回HG・ウエルズの宇宙人は火星人です。水星人にあらず。
 

 日本刃物工具新聞 1981年11月10日(火)掲載
無断転載禁止
 
※タイトルをクリックで本文が表示されます。