1792年創業。木屋は包丁を中心に様々な生活の道具を提供しています。

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加藤俊男

寛政四年創業以来八代目当主。
昭和25年3月 早稲田大学工学部応用金属科(現材料工学科)卒。
昭和25年4月 株式会社木屋入社。
平成4年11月 社長就任。
平成21年8月 会長就任。

金属、刃物メーカーへの講演、指導を行ったり刃物の博士的存在。
金属をはじめ、鉄鋼、新素材関係の諸雑誌等に執筆。

鉄はなぜ錆びるのか?


よく研いだハガネの包丁もそのまま普通に水に(註)漬けておけば、たった一晩でもかなり錆びてしまいます。ハガネでも鉄でも磨いただけでは特別の表面処理を施さない限り必ず錆びる、水分があればもっと早く錆びます。
鉄・ハガネはなぜ錆びるのか?この謎を解くため、宇宙そして誕生間もない頃の地球に思いを馳せてみましょう。
太陽系の火星と土星の間には、無数の小惑星が廻っています。惑星になり損なった惑星の部品か、惑星同士の衝突の為バラバラに砕けた惑星の破片とも考えられます。その微細なかけらの軌道が地球の引力圏に入り込み、空気との摩擦熱で発光し、光って落ちてくるのが夜空の一瞬に輝く流星、それが燃え尽きずに地上に落下したものはその主成分により隕石や隕鉄と呼ばれます。
宇宙空間には酸素が殆ど無いので、隕鉄の表面は地上に落ちるまでの空気との摩擦熱で酸化していますが、切断面を見れば内部は金属鉄のままです。
何十億年の昔地球ができた時、地上にあった鉄はこの様に金属鉄として存在していたと考えられます。その後気温が低下して海ができ、海中に原始生物が発生しました。この原始生物の子孫が上陸し、地上の植物や動物の先祖になったと思われます。植物は太陽の光を利用して当時炭酸ガスが主成分だった大気を分解して酸素を空中に放出し、炭素は植物の葉や幹などの主成分となりました。
空気中に放出された酸素が金属鉄と化合し、酸化鉄つまり現在の鉄鉱石となりました。以後数十億年の間鉄が酸素と結びついて最も安定した状態、即ち酸化鉄(つまり錆)の状態で存在していたのが鉄鉱石です。
自然金即ち砂金、自然銀、自然銅あたりまでは天然に存在しますが、自然鉄とは聞いたことがありません。「砂鉄があるじゃないか」といわれても、あれは磁鉄鉱つまり四三酸化鉄の微粉で、磁石にくっ付きますが、金属鉄の粉ではありません。金はもちろん銀、銅などに比べても遥かに鉄は酸化しやすい(錆び易い)のです。
溶鉱炉の原理も高温の一酸化炭素(CO)ガスにより鉄鉱石から酸素を奪い鉄に還元することにあります。練炭中毒で判るように赤血球中のヘモグロビンから酸素を奪う、怖いCOガスの力で鉄鉱石から酸素を奪い溶けた金属鉄を流し出すのです。
人間世界にたとえれば男に当る酸素と女に当る鉄とが何億年もの間仲良く暮らしていた状態が鉄鉱石で、それを無理やり引裂くのが溶鉱炉の仕事なのです。
日本や中国の歴史や伝説では無理やり引裂かれた夫婦が千里の道を越えて元の鞘に復したことは美談として語り伝えられますが、鉄と酸素の場合、宇宙空間はいざ知らず、地球上で使われる限り、あまねく存在する空気の約20%が酸素ですからすぐに元の鞘に戻ろうとしてくっつく、つまり化合して錆びにもどるのは当然の話です。
我々としては「ピカピカの包丁が錆びて困った」ですが、鉄と酸素の側にいわせれば「引裂かれた二人が元に戻った、めでたしめでたし」のフィナーレなのです。
なにも鉄が錆びたのを喜んでいるわけではないが、われわれが地上で鉄製品を使おうとする限り、塗装・メッキ等何かの表面処理をして鉄と酸素を完全に隔離しない限り「錆びるのは当たり前」ということを、完全に理解して頂きたいと思います。


(註)寿司屋などの手桶の水は石灰を入れた強アルカリ性なので鉄が錆びないのです。


さびにくい鉄、ステンレス鋼とは?
このように錆び易い鉄やそれに0.3~1.5%の炭素(カーボン元素記号C)を加えて焼き入れ可能にしたハガネを空気中で錆びさせない手段は唯一つ、前回の終わりに述べた通り塗装・メッキ・琺瑯等の表面処理をして、酸素を完全に遮断するしかありません。
しかし食器や包丁など食品に接するものは塗装できないし、メッキも使っているうちにひびが入りそこから錆びてきます。
メッキの中でもニッケルメッキやクロムメッキは皆さんよくご存知でしょう。メッキ層がはげない限り何時までも光っています。
しかし「実は錆びているのだ」と言えば皆さんきっとびっくりされるでしょう。
ニッケル(Ni)もクロム(Cr)も空気中の酸素と化合して表面に生じたごく薄い酸化膜が内部の金属を空気中の酸素から完全に遮断しているのです。(括弧内は元素記号)
しかも都合の良い事には、この皮膜は非常に薄く透明なので中の光った金属がそのまま透けて見えて、一見錆びていないように見えるのです。
鉄とCrの合金もCrの量に応じて、金属Cr同様空気に触れるとただちに表面に薄い酸化膜(不動態)をつくる能力を持ちます。鉄に耐食性を与える金属はCrだけです。
鉄とクロムの合金を作って錆びにくさを調べると、5%Crでもかなり錆びにくくなり、12.5%以上入れば空気中や真水の中では殆ど錆びません。
0.5%切り上げて13%以上Crが入っていれば、通常の使用には先ず大丈夫、これが13Crステンレス鋼とよばれるステンレスの誕生です。
その後、Cr量を増した18Crステンレス鋼やこれに8%のNiを加えた18-8ステンレス鋼も造られ耐蝕性は更に向上しました。後述するいろいろな元素を加えることによりさらに耐蝕性の優れたステンレス鋼が開発されました。もろもろの化学プラントや原子力産業は、これらの高耐蝕性ステンレス鋼抜きでは存在できなかったと思います。
だがこれだけでは「切れる=硬い」ステンレス刃物の製作には解決されません。
始めに御話ししましたが刃物の材料となるハガネには焼きを入れるための炭素が必要です。ところが炭素はCrとも大変仲がよく、ステンレス鋼の中で鉄、炭素、Crの大変硬い三元化合物(Cr炭化物)を造ってしまいます。このため錆を防ぐ基地の鉄(マトリックス)に含まれているCrの量が減る、つまり錆び易くなってしまうのです。
昔から「あちらを立てればこちらが立たず」とよく言われます。平家物語でも父平清盛の悪行を諌めようとした長男平重盛が「忠ナラント欲スレバ孝ナラズ、孝ナラント欲スレバ忠ナラズ」と嘆いた話が伝えられています。
ステンレス鋼刃物も重盛同様「硬くすれば錆びやすい。錆びにくくすれば硬くならない」とまさに板挟みの状態です。戦前カタカナで「サビナイ鋼」と刻印を打ったステンレス包丁が造られていました。サビナイ為には炭素量を低くするしかないので、当然硬度は低い。その結果「ステンレスの包丁はサビナイが切れない」が戦前の常識となっていました。
戦後、炭素とCr量をふやし更にモリブデン(Mo)、バナジウム(V)、コバルト(Co)等を加えた優れた刃物用ハイカーボンステンレス鋼が各社で製作され、ハガネの包丁に匹敵する硬さを持ち、良く切れる包丁も造られるようになりました。


現在のステンレス包丁の諸問題


以上ステンレス包丁がどんな過程で進歩してきたかがお分かりのことと思います。
しかしまだ問題が残されています。


【1】ハガネ製包丁は切れ味が落ちるにつれ、錆も進行するので自然に研ぎたくなりますが、ステンレス包丁は刃先が潰れても錆びませんから、ついのそのまま研がずに使われ最後には全然切れなくなります。それでもそのまま使っている家庭が多いことがNHKと当社の調査でわかりました。これも「ステンレス包丁は切れない」という方がまだいる理由の一つだと思います。光っていても研ぎは必要なのです。


【2】研ごうとしても、ハイカーボンステンレス鋼は同じ硬さの炭素鋼(ハガネ)よりも耐磨耗性が高い為、ハガネ製包丁が良く研げた今までの砥石では研ぎにくいことがあります。アルミナやGCを原料にした合成砥石が良いでしょう。
包丁購入と同時に店員に相談してその包丁に適した合成砥石か包丁研ぎ器をお求めになることをお勧めします。


【3】ハガネ(純炭素鋼)と異なりCr鋼(ステンレス鋼もCr鋼の仲間)には自硬性と言って、焼入れ温度以上に加熱すると、空中に放置しておいても自然に焼きが入る性質を持つ為、溶接後などにひび割れの原因となる歪を生じることがあります。
これを防ぐ手段もいろいろ開発されてはおりますが、ともかく御買い上げの品について充分に責任を持つお店から購入される事をお勧めします。


【1】【2】【3】のまとめとして
1.光っていても小まめに研ぐ
2.砥石を選びその手入れも忘れずに
3.信用できるお店とブランドを選ぶ
の三点を忘れずに末永くご愛用ください。




木屋のステンレス包丁と箱に使用されている用語の説明

BOHLER
オーストリーの製鋼会社 昭和29年(1954)以来の木屋の長い取引先。
EDELWEISS
同社製のステンレス鋼のブランドだったが、現在は木屋の登録商標。
SUB ZERO
ハイカーボンステンレス鋼は普通の焼入れだけでは最高の硬度が得られないことがある。焼入れ直後に零下75度まで冷却して、充分な硬度を出すとともに狂いの発生を防ぐ効果がある。
ポリアセタール樹脂 耐摩耗性、耐衝撃性、耐疲労性、剛性に極めて優れている。
ニューエーデルワイス鋼
新元素を添加することにより、炭素量を旧エーデルワイス鋼の半分近くに減らしたBOHLER社の新鋼材。硬度を低下させずに耐食性が大幅に向上し、【3】に記した口金溶接後の事故も皆無になった。
エバーブライト
上記の18-8ステンレス鋼にのみ使用する木屋の登録商標耐食性に優れている。
CHROMOL
クロモル モリブデン入りの国産ハイカーボンステンレス鋼SUS440A等。


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